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ぶちぶちぶち。
左側は最終版に行く前に手直しがまだ必要。手を加えたり塗り込んだから綺麗になるとは限らないのね。

左側の絵、の右側の壁っぽい部分が窓に見えない。どう見ても壁。外からも光が入ってきているようにまるで見えない。
透明度出すのって・・・どうするかね・・・輝度上げたり逆に影入れたりすればいいかな・・。

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れす:
>>いつも思うけど、創作に対するスタンスがとても理論的ですよね。珍しいタイプだと思います。そして自分の作品を客観的に分析できるのはとても良いことだと思います。普通は労力=クオリティというフィルターで自分を甘やかしてしまいがちですが、そうはならないのが素晴らしい!


すごく久しぶりに文章として論理的なコメントが来た気がします。ので全文掲載。
絵にかけていられる時間が少ないため、できるだけ短時間で、技術を高めながらまとまったいい作品を作らなければならない、ということが大前提としてあります。このため、実験と同じく大きく計画を立てて、それに沿った積み重ねが要求されます。小規模なものは私が作る必要もないし、みる人に与えるインパクトも小さくなりますから、ドット絵が面白いんだよということを伝えていくためには、技術がある人がより大きいことへ挑戦する必要があると考えます。

絵を描く際の計画というのは、全体の進行計画と全体のテーマ統一、ということもありますし、各絵における新しい試みも含みます。たとえば左側の絵であれば、ヴィネット形式ではなく、漫画のコマのような仕上がりに初めてチャレンジしたものになります。これらを意識することで、効率的な技術向上が可能になる気がします。絵をただたくさん描くだけで、何も新しいアイデアを盛り込まない人は、やはり上達が遅い。

ただしこういった進め方の場合、たとえば美しくないもの、色の組み合わせが非常にドラスティックなもの、奇形など特定の人にのみ受けやすいものなど、ある意味情熱的な作品というのは作りにくい。何も考えずに自分の描きたいものを描く場合は、ニッチに深く印象を与えるものを作ることができます。まぁこのあたりは絵を用いて自分の伝えたいものがだれにでもわかりやすく伝わることが一番大事と考えるのか、伝わる人にだけ伝われば私は満足と考えるのか、みたいな話なのですが。それは個々人の趣味思想によるもので、良し悪しは存在しない。

何が言いたいかというと、前半の論理的に絵の進行ができることが素晴らしいという点について、この進め方に問題点ももちろん存在するという話ですわ。

後半、「労力=クオリティ」ですが、これは私には成り立つ話かもしれない。この場合の労力というのが、純粋に手を動かしている時間だけではなく、どういったものを作るかとアイデアを練る時間も含む場合ですが。ようするにたんに手を動かす前に、よく考える時間をとらないと、クオリティには結びつかないということ。特に私はシンプルにまとまったものを作ろうとしていますが、そこに至るまでには様々な紆余曲折を経て、ごちゃごちゃしたところからすっきりさせることが多い。はじめからすっきりかければ、労力はほとんど必要ないでしょうみたいな、塗り込みの浅いものも多いと思います。でもそれを作る為には考える時間というのがもっともっと必要で。私には。

要するに良いものを作ろうと思ったら、そりゃあ労力は必要だけど、塗り込むための時間を多く割けばいいわけではなく、いろいろと何を伝えたいのかとか、効果であるとか、そういうことを考える時間をより多く割いていかなければならないなぁと、常に自省し続けることが大事だと思います。いっぱい打たないといけない場合は、とにかく物理的労力の方に目が行きがちで、考えることがおろそかになる為です。

2010.02.17 / 未分類 /
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